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【常陸大宮市・美和】喜雨亭・養浩園 特別公開レポート!

茨城県北西部、栃木県との県境に位置する、常陸大宮市美和地域。面積の8割以上を森林が占める山間地で、鷲子(とりのこ)・小田野(おだの)・高部(たかぶ)・上檜沢(かみひざわ)・下檜沢(しもひざわ)・氷之沢(ひのさわ)の6地区から成り立っている。


6地区より今回ご紹介するのは、高部だ。古くは紙問屋や葉タバコ、林業で栄え、現在はちょこっと洒落たレトロな町並みが人気のエリア。高部では、平成15(2003)年に国登録有形文化財となった、美しい和洋折衷の間宮家住宅に続き、この度、喜雨亭(きうてい)が国登録有形文化財に。また、養浩園(ようこうえん)が国登録記念物となる見込みだ。




国登録を記念して、こちら2か所が、7月30日(土)に特別公開された。今回はその様子をレポートする。


喜雨亭・養浩園について知る、全4回のガイド付きツアー開催!



今回の特別公開の魅力はなんといっても、ガイドさんによる解説があること。「歴史は難しい」「堅苦しい」等々……。そういうイメージが多い中で、高部地区に精通した方々による解説があることで、より一層理解が深まった、そんな時間だったように思う。



ガイド付きツアーは、9:30、11:00、13:30、15:00の計4回(各1時間程度)。私は、朝一番、9:30の回に参加。観覧料500円の支払いとともに、喜雨亭と養浩園の解説書をいただいた。




水戸の偕楽園を模して造られた、喜雨亭と養浩園


明治中期、当時酒作業を営んでいた岡山氏が造営した庭園が「養浩園」だ。庭園内にあり、庭園を見下ろすように建てられたのが、酒屋の座敷棟であった「喜雨亭」。水戸の偕楽園・好文亭を模して造ったと伝えられている。



「喜雨亭」という名前は、中国文学史上最高の詩人とも言われる、杜甫(とほ)の詩「春夜喜雨(しゅんやあめよろこぶ)」から名付けられたのだそう。



果たして、どういう意味なのだろうか。


ガイド・石井さん:


この詩は、春の夜に、しとしとと雨が降っている様子を表しています。この雨は、たくさん降るのではなく、農作業が始まる季節に欲しい雨なんです。どういうことかというと、しとしとと地面に忍びやかに降って、その雨が将来の秋の実りにつながることを期待しているということ。この辺りは、江戸時代・明治時代と村の商屋や村長をされる方が多く、この地域に住む方々の、豊かな暮らしを願って名付けたとされています。


1階部分は、平成7年に茶室として改修。2階と3階は、生活の場というよりも、客人を接待するといった「風流の集い」が行なわれていたのだとか。室内のあちこちには、当時ここを訪れた野口勝一(※1)らの絵や書が襖に貼られている。


(※1)ジャーナリスト、政治家。現在の北茨城市磯原の出身。詩人・野口雨情の叔父で、衆議院議員もつとめた。


ガイド・石井さん:


書や絵などを嗜む方々がこちらを訪れ、和歌を詠んだとされています。また、窓から見えるお庭をご覧になって、月を愛でたりしていました。正面に見える岩山からお酒に使用する水を酒蔵にひき、余った水は、池の水として使っています。この辺りに住む方は、山を持っている方が多いです。こうした建物を建てるために、自分の山から良材を切り出しているんですよ。


1階入口から階段を上がり、2階の廊下へ辿り着くと、歩き心地の良さに思わず驚いてしまった。


ガイド・石井さん:


この廊下、とても歩きやすいと思いませんか。歩き心地が良いですよね。全て、桜の木で作られています。また床の間は、欅の一枚板になっています。良い職人さんがいらっしゃったということもあり、欄間もとても凝ったつくりになっています。





一つ一つこだわって作られた職人さんの努力と、喜雨亭の歩んだ歴史を感じられる空間であった。2階を後にして、3階へと上がる。


ガイド・石井さん:


窓ガラスは明治時代のままです。南側の窓は、赤・黄色・緑の3色のギヤマン(※2)ガラスと透明ガラスがはめられています。道路側の三方には、醸造していた酒の銘柄「花の友」の看板が掲げられています。


皆さんの上、頭上を見ていただくと、花模様がぬいてあるのが分かると思います。これは「花の友」という文字であり、昔はここに明かりをつけていました。3階は風も通りにくいですし、何かのスペースで使用するというよりも、広告塔としての役割が強かったようです。しかし、戦争が激化し、敵の襲来を避けるためにと、この時期の灯火管制(※3)に従って、塞いでしまったと考えられています。




(※2)江戸時代にダイヤモンドを称して呼ばれた言葉。 (※3)戦時下において、民間施設および軍事施設・部隊の灯火を管制し、電灯・ロウソクなどの使用を制限すること。それにより、夜間空襲などの標的となることをなるべく防ぐことを目的とする。

桜のように見えるが、実は梅。その点についても解説してくださった。



ガイド・石井さん:


どう考えても桜のように見えてしまうのですが、おそらく梅です。「花の友」の花は、梅を指し、喜雨亭も偕楽園の好文亭を模して造られています。室内のあちこちに貼られている和歌を解読すると梅の花にちなんだ詩が多いです。また、庭園にも梅の古木が多く見られるんですよ。



喜雨亭の解説の後は、養浩園を見学した。



当日の蒸し暑さを忘れるほど、南を流れる緒川と、東を流れる和田川が心地良い。



庭園には、梅の古木以外に、太くまっすぐと伸びたヒノキやコウヤマキ、ヒバといった針葉樹林も多く見られる。春夏秋冬、どの季節を訪れても鮮やかな景色・空間が広がっているであろう養浩園。

偕楽園が民の憩いの場とされていたように、その当時、養浩園も近隣住民に解放されており、冬は氷の張った庭園内の池で子どもたちが下駄スケートを楽しんでいたのだそう。


近年は、地域の方が中心となって結成した「森と地域の調和を考える会」により、庭園が整備され、南側には木橋が新設されている。





令和4(2022)年8月現在、一般公開されていないが、これから徐々に開放日も作っていく予定だそう。今回の特別公開に参加できなかった方も、気になる方はお問い合わせしてみてはいかが。



本レポート執筆における参考資料:

・茨城県常陸大宮市高部 国登録有形文化財 喜雨亭・国登録記念物 養浩園

(発行 森と地域の調和を考える会〔代表 龍﨑 眞一〕、編集 特定非営利活動法人 美和の森、発行日 令和4年(2022)7月28日)

・ガイドによる解説



お問い合わせについて



喜雨亭・養浩園の見学を希望される方は、

事前に「森と地域の調和を考える会」(TEL:0295-58-3812)へご連絡ください。


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