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常陸大宮市で頑張る農家さんにインタビュー Vol.8 枝もの家・柳田雄介さん

更新日:2022年12月6日




千葉県出身で、常陸大宮市へ移住し、枝物農家として5年目を迎えた柳田雄介(やなぎだゆうすけ)さん。移住者でありながら、枝物を専業とする農家の中心的存在で、2022(令和4)年には、仲間と立ち上げた青年部(ヤングファーマー部)の代表も務められています。地域を担う農家として、周囲からも期待される柳田さん。今回は、柳田さんが常陸大宮市へ移住した経緯、枝物栽培の難しさや面白さ、今後の展望など、さまざまなお話を伺いました。


将来を考え、移住とともに建築業から農家へ転身


枝物の説明をする柳田さん。枝物一本で生計を立てる農家の中心的存在で、枝物栽培の厳しさも面白さも全て知る

――平成28(2016)年に常陸大宮市へ移住し、枝物農家になったと伺いました。以前から農業や枝物と縁はありましたか。

いえありませんでした。建築業界にいて、30歳のときに独立開業し、10年ほど一人で仕事をしていました。

その後、建築業を継続しながら、同級生が経営するカバン屋の仕事を手伝ったりもしましたが、体力の衰えも考え、今後どうしようかと悩んでいました。そんなときに、常陸大宮市出身の妻の義理の兄が、常陸大宮市で兼業の枝物農家をしており「農業をやってみたら?」と声をかけてくれました。


――義理のお兄様の一言がきっかけだったのですね。最初から枝物農家になろうと思っていたのでしょうか。

そもそも「農業」という仕事が頭に一切なかったので「農業って何?」とそこで初めて思いました。妻も農業をやってみたいと言ってくれたので、農業の世界に足を踏み込んでみてもいいかもと思いました。素人なので、農業といったら無農薬・有機栽培の野菜だろうと思い、すぐには枝物を扱うという発想にはならなかったです。まずは、無農薬・有機栽培について、インターネットで調べて、気になるところに問い合わせをし、農家さんの話を聞きに行ったりしました。


分からないからこそ面白い。未知の世界に心惹かれて


涼しげで、全体が白く輝いて見える「シルバーアニバーサリー」

――なるほど。無農薬・有機栽培の野菜を育てる農家さんに会いに行ったにも関わらず、野菜ではなく、枝物農家になった理由は何でしょうか。

そのほか、県の職員さんに相談したり、茨城県立農業大学校で行なわれている農業の勉強会に参加したりもしました。基本野菜についての勉強会で、もともとの知識もないので、正直受講してもよく分からなかったんです。作物を何にするのか迷っているときに、農業を提案してくれた義理の兄が当時の奥久慈枝物部会の部会長だった石川幸太郎(いしかわこうたろう)さんを紹介してくれました。石川さんと会ってお話をしたときに、枝物を通してこの地域を盛り上げていきたいという強い思いを感じました。また、その当時は「枝物ってよく分からない」と思いましたが、それ以上に「分からないからこそ面白そうだな」と感じたんです。


――分からないことに対して不安ではなく、面白さを感じるタイプなのですね。

そうですね。農業といえば、野菜と思ってさまざまなお話を聞きましたが、どれもしっくりきませんでした。石川さんに出会い、枝物の話を聞いて、農家として確実に生きていけるといったような根拠もありませんでしたが「私がやりたい農業はこれだ!」「枝物専門で取り組んでいこう」と直感的に思いました。


「枝物農家として生きていく」決意とその難しさ


――運命的な出会いですね!石川さんとの出会ったことや義理のお兄様とのつながりがあったとはいえ、やはり他県から移住し農家になるのは大変だと思いますか。

それなりの覚悟が必要です。「常陸大宮市で農家として生きていく」という心構え、そして何より地域の方々とのコミュニケーションが大切だと思います。

私の場合は、移住をして中古住宅を購入、リフォームして住み始めました。「ここで生きていくんだ」と決めた瞬間でもありますね。その後、耕作放棄地を借りて、整備。そこにハナモモ(花桃)を植えたのが、私の枝物農家としての第一歩です。


――柳田さんから強い決意を感じました。実際に、枝物栽培を始めてみてどうでしたか。

枝物栽培の大変なところは「何を植えるか」だと思います。本当に種類が豊富です。もともとは先輩方が「地域活性化」以外に「年金+α」として広げた産地なので、何を植えてもそこまで問題ないんです。なので人によってさまざまな種類の枝物を植えています。


――なるほど。種類が豊富ということですが、もしこれから枝物で新規就農する方がいるとすれば、柳田さんは何をおすすめしますか。


常陸大宮市の認証特産品であるハナモモ(写真提供:柳田雄介さん)


もしこれから常陸大宮市で枝物農家として新規就農するなら、ハナモモを最初に植えてほしいと思っています。先輩方が力を尽くして、販路を整備してきたのもありますし、全国的にも茨城県といえば、常陸大宮市のハナモモがだいぶ浸透してきているのを感じているからです。


――確かに、常陸大宮市といえばハナモモが有名ですよね!枝物専門の農家として、ハナモモ以外には何を育てていますか。

羽毛のような花を咲かせるスモークツリー。若者を中心に人気の品種。(写真提供:柳田雄介さん)


私は、枝物一本で生計を立てている農家なので、年間を通して枝物を出荷できるよう、30~40品種ほど育てています。品種によって、2~3週間、半月ほどで出荷といったように異なります。去年一昨年あたりからインスタグラムを中心にスモークツリーという品種が流行っています。いわゆる「映える」ようで、若者を中心に人気です。どこで何が流行るか、そういうのを分析するのも、枝物の面白さかもしれません。「映える」のもそうですが、枝物はやはり見せ方によってすごくおしゃれなので、まだまだ可能性がたくさんあると思います。これからも枝物のそういう可能性をこの目で見るのが楽しみです。


子どもへとつなぐ、農業スタイルの確立


――枝物には可能性も魅力もたくさんあると感じました。そんな枝物に出会い、面白いと感じ、枝物専業の農家として5年目を迎えたかと思います。改めて今後の夢や展望をお聞かせください。

枝物を始めたころは、正直毎日必死でした。最近になってやっと少しずつ心の余裕もできてきたところです。最近思うのは、農業の醍醐味はなんといっても、家族経営ができるところ。家族で協力して取り組める仕事、それは、素晴らしいことだと感じています。実際に今も妻や妻のお母さんも手伝ってくれていて、3人で枝物を育てています。年をとっても、続けられるのもまた嬉しいことの一つ。私には6歳の子どももいて、将来成人したときに、一緒にやりたいと言ってもらえる、そんな農家を目指したいと思っています。


――お子様が枝物栽培をやりたいと言ってくれたらとても幸せですね!

そうですね。子どもが成長したとき、若者も農業に興味を持ち、おしゃれで面白いと感じてくれる、そんな農家になれればもっと嬉しいです。今、隣に建物を立てているのですが、その先にちょっとしたアンテナショップを作りたいとも思っています。枝物の直売所が少しおしゃれに見える、そんなショップです。そういう取り組みも徐々にできたら幸せですね。


柳田雄介さんへのインタビューを終えて


2022年8月23日(火)インタビュー取材を実施。取材後、柳田さんの畑を案内していただきました。

他県から移住し生活をする、それだけでもハードルが高いと思われる中で、枝物専業の農家として枝物部会の若い人たちを引っ張る存在となった柳田さん。インタビュー取材をする中で柳田さんからは「常陸大宮市で枝物農家としてしっかりと生計を立て生きていく」という強い覚悟を感じました。また、厳しさの中にも、枝物への面白さを常に感じている柳田さん。移住者として、枝物農家として、酸いも甘いも知っているからこそ、今の堂々とした柳田さんがいるのだろうと思いました。また、インタビュー前後もインタビュー中も何かと楽しい話題を降って、場を和ませてくれた柳田さん。そんな柳田さんの人柄も地域に溶け込んでいる理由の一つなのだと思いました。この場をお借りして、この度はお忙しいところ、インタビューを引き受けてくださり、誠にありがとうございました。



取材・文・写真(一部写真提供を除く) 常陸大宮市地域おこし協力隊 谷部 文香

取材協力 雅農園 海野 雅俊


 

枝もの家・柳田雄介さんの最新情報は、以下Instagramをチェック! edamonoya

 

合わせて読みたい記事: 常陸大宮市農家さんインタビュー Vol.1~Vol.7、Vol.9は以下より


 



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